2018 September

 

   
 
 
ヴァカンスから戻ると嬉しいギフトが届いている。パリに着いて1週間目・・・ 以来の友人の新しい著作。アメリカでMITを卒業後パリで働いていた A氏、 指揮者のクラウディオ・アバド氏のご一族で素晴らしいお屋敷のようなアパルト マンにお住まいだった。当時パリのクラシック界でアバド氏は スーパースター であり、華やかなパーティーにもよく招いて下さったが、私は当のアバド氏を知 らず・・・。32年前にタイムスリップしたよう。

 

 

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ジャコブ通りにひっそりと佇む「Dina Vierny Gallery」、彫刻家アリスティッ ド・マイヨール(1861-1944)のミューズであったディナ・ヴィエルニ (1919-2009)が1947年に オープンしたこのギャラリー。75歳であったマ イヨールが当時15歳のロシアから来た黒髪のディナに出会い、彼女の驚くべき 個性に触発され没する までの10年間、多くの作品を生み出した。マイヨール 亡き後同じくモデルを務めていたアンリ・マティス(1866-1944)の支援を受け て、建 築家オーギュスト・ペレ((1874-1954)に室内装飾を依頼しオープンした。 デュフィやカンディンスキー、ピカソ、ポリアコフ、アンリ・ルソーやマルセ ル・デュシャンはこのギャラリーから羽ばたいていったという。

 

 

 
 
 
 
 
私にとってこのギャラリーは大変に思い出深い場所。パリに到着して最初に出来 た日本人の友人、今も親友であるM嬢は主であるDINAの邸宅にお住 まい だった。ほぼ同い年ながら流暢なフランス語でそうそうたるフランス人と自然体 でお付き合いする彼女を最初に見た時は心底驚いた。当時、ポリア コフの絵画 が切手になり展覧会のヴェルニッサージュ(オープニング)に連れて来てもらっ たのがこのギャラリー、ポリアコフのご一族やら政治家やら とんでもない人達 がここに集っていた。その中を可愛らしいM嬢はゆったりと自分のペース、おぼ つかない私に何くれとなく気を配り、会話を訳してく れ・・・。それ以来姉妹 のようにパリの生活を育んでいったのであった。

 

 

 

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サンジェルマンにはさまざまに個性的なブティックが多くアポイントメントを 取ってから、というような知る人ぞ知るマニアックなお店も。作家やアー ティ ストのサインや直筆の手紙などを扱うこのブティック、ブティックと言うより古 文書館?お店の方も図書館の司書のよう。とにかくマニアックでマ ルセル・プ ルーストの直筆の手紙やロダンの覚え書き、 ヴィクトル・ユーゴーのメモなど・・・、サンジェルマンは本当に奥が深い。

 

 

 
 
私がまだパリに憧れていた高校生の頃、初めてソニア・リキエルのニットを見た 時は本当に衝撃的だった。それまでのニットの概念とは全く違う、カッ トソー のように自由なカッティングと体に沿った細身のシルエット。パリに着いてから 早速グルネル通リの本店を見に行った懐かしい思い出。サンジェ ルマン大通り にレディースから子供服までトータルなブティックが出来てからは帰り道によく 立ち寄る。著作も多い彼女らしい壁面いっぱいの本、ブ ティックというより ギャラリーのような素敵な空間。メゾン創設の1968年から50周年の今年、 さまざまなイベントがあるよう。

 

 

   
 
 
 
 
日仏学院に「建築家・坂倉準三 パリー東京:生き続ける建築」展を見に伺う。 父が師事していた坂倉事務所、御一族とも父の友人達とも今だに仲良く させて 頂いている不思議な事務所。当時の日本では珍しいホームパーティーやクリスマ スパーティーで子供同士もお友達になって今に至っている。父の 設計した我が 家の家具は坂倉先生から新築祝いに頂いたこの椅子、子供の頃はそんなタイソウ なものだとは知らず背もたれ一面にシールを貼ったりして いた。私は建築家で は無いけれど、デザインが「建築的ですね?」と言われる所以はこんな環境にあ るのかも知れない。

 

 

 
 
 
expo index ギャラリー間に建築家・藤村龍至氏の個展「ちのかたちー建築的思考のプロトタ イプとその応用」展を見に行く。私は建築家ではないので、「かたち」 が生み 出されるプロセスを通じてその理念や実践を紹介する、という展覧会のコンセプ トに魅かれ久しぶりにギャラリー間へ。各プロジェクトで使用し たという 300余りの模型群が思考のプロセスのようで興味深い。私のようなデザイ ナーは思考のプロセスを実際の素材で残せるけれど、建築家はそ の規模が大き いので大変そう・・・。 page top

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